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更新日:2022年5月9日
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紫尾の俗称「仕度替え」=徳寿庵の古石塔発掘中に出土したもので、紫尾権現に関係のあるものと推定される青銅で出来た和鏡です。秋草 流水 双雀の花鳥模様や実を結ぶ五弁の草木模様が刻まれています。二面とも直径11.5センチメートルの銅鏡です。 |
澁谷五族が、宝治2年(1248)に下向の際、五族それぞれの氏神を奉持したと古文書にあります。五体の神像は、それぞれ高さ約30センチメートルほどの木座像で着色されていたようです。その一体に「文政二年(1468)十二月一日 大檀那 平 千松丸」とありますが、澁谷氏一族と考えられています。
古文書には、澁谷五族が下向の際、それぞれ氏神を奉持したと伝えています。祁答院氏は、菩提寺の大願寺近くの鎮守神社に五神を祀ったものと思われます。宮殿内の板に、宝暦年間(1750代)に「色が薄れていたので彩色しなおした」の墨書がありますが、その時までに相当な年月が経っていたと考えられます。鶴田氏の五神像と類似した木神像です。入来院氏・高城氏の五社の所在は分かりませんが、東郷氏の五社は、小さな銅製の像にして五社神社に祀ってあります。
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応永8年(1401)の鶴田合戦のとき、島津伊久方の陣営となっているので、それ以前からの神社と考えられます。応永33年(1426)に澁谷氏の女が一社を建て、永禄3年(1560)に島津日新が扁額を寄進しています。木造二体の仏像が神体で、享徳2年(1453)に紹徳蔵主の彫刻と墨書されています。 |
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