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更新日:2020年5月14日

無形民俗文化財

県指定文化財

8.鷹踊(昭和36年8月指定)

鷹踊

藩政時代の狩猟は、武士の武術の修練と領民の生活動向を観察する目的をもって行われたものと思われています。この鷹踊の様子を芸能化し、祭や殿様の領内見廻りなどの時に踊り、武運長久・領土安穏・領民安泰を祈るようになったといわれています。鷹踊は、「鷹刺踊り」とも呼ばれています。

町指定文化財

3.狩おどり(昭和47年5月指定)

狩おどり この踊りは泊野の宮田公民会に古くから伝わるものです。この踊りは劇化され、せりふや動作によっておもしろおかしく表現されています。踊りの内容は、鹿児島の殿様に世継ぎの男の子が生まれ、そのお祝いに泊野の猪を望まれたので、庄屋どんが狩人を集めて猪狩を行う様子を表しています。

24.時吉の金山踊り(平成17年1月指定)

時吉の金山踊り  宮之城島津家4代久通が藩の家老職にあったときに、藩の財政が厳しくなり、寛永十七年(1640)から同十九年(1642)にかけて、永野や山ケ野において金山探しをおこなったときの様子を踊りとして表現したものであると伝えられています。この踊りは、6人1組を基本にし、3列を作り歌に併せて踊ります。踊り手の格好は、山伏の装束で右手に錫杖を持ち左手に山刀を持って踊ります。

52.紫尾幣舞い(平成11年10月指定)

紫尾幣舞い 享保年間(1720代)の頃から金山踊りが伝えられていましたが、戦時中に途絶えてしまったため、昭和25年頃に紫尾の婦人らが、錫杖を幣に変えて踊りを復活しました。女性のみの踊りです。

57.北方町の俵踊り(昭和44年9月指定)

北方町の俵踊り

昔の神社等の祭典では相撲が良く行われました。これを勧進相撲といい、寄進された品物を土俵の上に積んで、見物客に披露し謝礼の意を表したと言われています。当時の寄進は大部分が米であったので、化粧まわしを締めた関取が相撲甚句を唄いながら円陣をつくって踊り、土俵祭りが済むと飾ってあった米俵を次々に手渡し土俵の外に出したと言われています。この様子を踊りにしたもので、豊年踊りとして珍重されています。

58.岩元の秋津舞(昭和49年4月指定)

岩元の秋津舞

慶長2年(1597)豊臣秀吉による朝鮮攻めに際し島津義弘公も出陣し、敵の援軍を破り、薩摩隼人の勇名をとどろかせて凱旋しました。その凱旋を記念すると共に将兵の士気を鼓舞するため踊り伝えられたといわれています。

59.上中福良の痘瘡踊り(昭和52年11月指定)

上中福良の痘瘡踊り

疱瘡は天然痘の事で、種痘による予防法のない時代の人々は神に祈祷したり、踊りを奉納して病気を少しでも軽くすませようとする風習がありました。また、塞の神の前に南天の葉や八手の葉などを挟んだしめ縄を張って、疱瘡神の侵入を防ぐという風習もありました。この踊りは、お伊勢参りの姿を舞踊化したものであろうと言われています。

 

お問い合わせ

さつま町役場社会教育課文化係

〒895-1804 鹿児島県薩摩郡さつま町船木302番地

電話番号:0996-53-1732

ファックス:0996-53-0900

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