有形民俗文化財

更新日:2023年03月22日

県指定文化財

1.宮之城町虎居の庚申塔(昭和50年3月指定)

虎居の庚申塔の写真

この庚申塔は、台石の上に一つの石からつくられた変形の五輪塔で、高さが86センチメートルあります。「享禄四年」(1531)と刻まれており、県内の庚申塔のなかでは古い方で初期の庚申塔を知る上で貴重なものです。

5.鶴田町鶴田の庚申塔(昭和50年3月指定)

鶴田の庚申塔の写真

この庚申塔は、角五輪塔の珍しい形をしています。天文3年(1534)に造立され、本県の庚申塔の中でも古く、中世庚申塔の代表的な石塔です。高さは1.3メートル、地輪の幅は67センチメートルあります。

町指定文化財

1.佐志切開殿の供養塔群(昭和45年9月)

佐志切開殿の供養塔群の写真

佐志の田原橋近くにあります。ここには多くの石塔が並んでおり、祁答院記によると「佐志の領主の墓であると伝えられている」と書かれています。至徳の頃(1384~1386)に建てられた供養塔ではないだろうかとされています。

2.十三佛(昭和47年5月指定)

十三佛の写真

佐志のあながわ公民会近くの山際にあります。この十三佛は、正面に13の仏を彫ってあり、これは亡くなった人の法要を行う初七日から三十三回忌までの十三回の供養に本尊とする十三の仏と菩薩を表しています。碑文には「天文十六年」(1547)とあります。

7.二渡石塔殿(昭和47年5月指定)

二渡石塔殿の写真

二渡から折小野に行く道路沿いにあります。板碑と五輪塔が五基あり、「嘉慶二年」(1388)と刻まれています。言伝えによると、折小野方面から来た武士と白眼の馬に乗った武士が戦い、乗馬の武士が戦死した場所であろうと言われています。

9.市野の田の神像(昭和50年4月指定)

市野の田の神像の写真

泊野の市野集落の田んぼの中にあります。このほかに宮之城地区では108体の田の神が確認されいます。田の神は米の豊作を願って建立されています。市野の田の神は、享保13年(1728)の作のようです。

10.荒瀬の六地蔵石塔(昭和50年4月指定)

荒瀬の六地蔵石塔の写真

山崎荒瀬の保食神社の境内にあります。ここの六地蔵塔は、元々、玄心堂の下に三基ありましたが、現在は一基だけ残っており、「延徳二年」(1490)と刻まれています。県内でも古いものとされています。六地蔵は,死んだ後の供養や生前に後世のために道路のそばや辻などに建てていたようです。

11.湯田の磨崖仏(昭和50年4月指定)

湯田の磨崖仏の写真

鶴田方面から下湯田の川沿いの崖にあります。この磨崖仏は、七つの碑にそれぞれ仏を表す種子梵字が刻まれたものです。延文二年(1357)の年号が刻まれています。

12.悪四郎石(昭和55年9月指定)

悪四郎石の写真

平川北原の国道328号線沿いにあります。出水の大重悪四郎が、兵を率いて虎居城を攻め、推込で全滅したときの供養塔であると伝えられています。石塔には「明徳四年」(1393)と刻まれています。

13.一ツ木の六地蔵(昭和55年9月指定)

一ツ木の六地蔵の写真

虎居の一ツ木八幡神社の入口にあります。この六地蔵塔は、高さが2.28メートルあり、塔の姿が美しくほぼ完全な形で残っています。笠の裏に「永禄十二年」の銘が刻まれています。

14.天長寺法印宥海塔(昭和62年8月指定)

天長寺法印宥海塔の写真

湯田上ノ一の流水小学校の北方にあります。都城にある天長寺第四世の住持であった法印宥海の墓石塔で高さ1.94メートルからなる五輪塔で、慶長二年(1597)の年号が刻まれています。当時都城の北郷時久が祁答院移封を命ぜられ天長寺もこの時屋地の東谷に移していますが、当時湯田には眞蓬寺や薬師院があり、ここに迎えられたのではないかと思われます。この墓石塔は、宮之城町と都城の当時のつながりを示す貴重な文化財です。

15.興全寺墓地(平成3年11月指定)

興全寺墓地の写真

ここは、天正12年7月6日17代藩主島津義弘の末娘として加久藤に生まれた「お下」の墓です。お下は、伊集院忠眞に嫁ぎましたが、忠眞が庄内の乱を起こし離縁となりました。その後、父の命により人質となり、江戸で7年の歳月を過ごしました。お下を不憫に思った兄の家久は、元和七年宮之城島津家第3代久元と再婚させ、久近(佐志島津家第2代)を生みました。慶安2年、66歳でその生涯を閉じました。

16.佐志の摩利支天像(平成17年1月指定)

佐志の摩利支天像の写真

佐志の摩利支天像は、佐志の新生地内の小高い丘の上にあります。直径48センチメートル厚さ18センチメートルの円形の板石に摩利支天像が浮彫されており、「永禄十年」(1567)と刻まれています。像は、石小倉の中に安置してあり、石小倉の内側には、慶安元年(1648)の紀年や興全寺住職の名が刻まれています。摩利支天像は、珍しく貴重なものといえます。

17.湯田の方柱板碑(平成17年1月指定)

湯田の方柱板碑の写真

湯田八幡宮の近くにあります。この方柱板碑は、正面に梵字、右側に「十二廿七」左側面に「心浄」背面に「嘉歴二」の文字が刻まれています。方横幅19センチメートル、地表面の高さ約60センチメートルです。嘉歴2年とあり(1327)、年号のある古石塔類では古いものになります。

28.紫尾の田の神(昭和47年2月指定)

紫尾の田の神の写真

背面に「御田神 宝永二年 乙酉十月□日」と刻まれています。これは薩摩藩内にある年号の刻まれた田の神の中では2番目に古いものとされています。この田の神は、高さ74センチメートル、腰の周りは118センチメートルで、袴を付けています。袴の腰板が残っているのが特徴となっています。

29.神子轟の水神祠山神祠(昭和47年2月指定)

神子轟の水神祠山神祠の写真

神子の川内川左岸にあります。天保13年(1842)に神子轟の川ざらえ工事が行われましたが、危険を伴うことがあったため、その後、この地の安全を祈願するために祀られました。

49.仮面(平成6年8月指定)

仮面の写真

詳しいことは不明ですが、神崎大明神のものと推定されています。この類の仮面は珍しく、しかも相当に古いもののようです。面紐が付けられるようになっています。

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