有形文化財(工芸品)

更新日:2023年03月22日

町指定文化財

47.銅鏡(平成3年5月指定)

ひびが入っている銅鏡の写真
穴が空いている銅鏡の写真

紫尾の俗称「仕度替え」=徳寿庵の古石塔発掘中に出土したもので、紫尾権現に関係のあるものと推定される青銅で出来た和鏡です。秋草 流水 双雀の花鳥模様や実を結ぶ五弁の草木模様が刻まれています。二面とも直径11.5センチメートルの銅鏡です。

48.五社大明神の神体五像(平成6年8月指定)

五社大明神の神体五像の写真

澁谷五族が、宝治2年(1248)に下向の際、五族それぞれの氏神を奉持したと古文書にあります。五体の神像は、それぞれ高さ約30センチメートルほどの木座像で着色されていたようです。その一体に「文政二年(1468)十二月一日 大檀那 平 千松丸」とありますが、澁谷氏一族と考えられています。

51.柏原鎮守神社の神体五像(平成10年5月指定)

柏原鎮守神社の神体五像の写真

古文書には、澁谷五族が下向の際、それぞれ氏神を奉持したと伝えています。祁答院氏は、菩提寺の大願寺近くの鎮守神社に五神を祀ったものと思われます。宮殿内の板に、宝暦年間(1750代)に「色が薄れていたので彩色しなおした」の墨書がありますが、その時までに相当な年月が経っていたと考えられます。鶴田氏の五神像と類似した木神像です。入来院氏・高城氏の五社の所在は分かりませんが、東郷氏の五社は、小さな銅製の像にして五社神社に祀ってあります。

53.崇廟諏訪大明神の神体二像(平成14年9月指定)

崇廟諏訪大明神の神体二像の写真

応永8年(1401)の鶴田合戦のとき、島津伊久方の陣営となっているので、それ以前からの神社と考えられます。応永33年(1426)に澁谷氏の女が一社を建て、永禄3年(1560)に島津日新が扁額を寄進しています。木造二体の仏像が神体で、享徳2年(1453)に紹徳蔵主の彫刻と墨書されています。

この記事に関するお問い合わせ先


さつま町役場 社会教育課 文化係

〒895-1804
鹿児島県薩摩郡さつま町船木302番地
電話番号:0996-53-1732
ファックス:0996-53-0900
メールフォームによるお問い合わせ