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是枝 樹さん

更新日:2023年04月06日

【取材対象者】
是枝 樹(これえだ たつき)さん
【取材対象店舗】
是枝商店

コロナ禍での都会生活を通して、 人との繋がりの大切さを改めて実感―― 故郷へとUターン移住し、家業の継承を決意。

朱色と黄色で愛らしく彩られた純白の餅生地に、黒糖が香る上品な粒あんがぎっしり。さつま町の銘菓「いちごまんじゅう」は、その優しく素朴な味で、100年以上にわたって地元の人々に愛されてきました。実はこの「いちごまんじゅう」、材料に苺は使われていないのだとか。「白い花から始まり、黄から赤へと変化する苺の成長をなぞらえたことが名前の由来とされています」。そう説明するのは発祥の店でもあり、今も唯一の商品としてこのお菓子を販売し続ける和菓子店「是枝商店」の是枝 樹さん。現在は父・亘さん、母・ひとみさんとともに店先に立ち、4代目として修行を重ねておられます。

樹さんは3人兄弟の次男。実は、店を継ぐ決意へと至るまでは、決して一本道ではなかったといいます。「町の高校を出たあと、イタリアンシェフになることを夢見て鹿児島市内にある専門学校の調理科に進学したんです。卒業後は東京・渋谷にあるパスタ料理店に就職。そこから10年ほどは首都圏の飲食店で料理の腕を磨きました」。慣れない単身生活に毎朝の満員電車。東京での暮らしは大変だったそうですが、一方で仕事はやりがいに満ちていたのだとか。「調理はもちろんですが、働くうちに接客の楽しさにも気付くようになりました。当初は標準語とのイントネーションの違いを気にしたこともありましたが、先輩が『あえて方言を出した方が、お客さんに親しみを持ってもらえるよ』とアドバイスしてくれて…。実際に、無理に標準語で、という意識を捨ててみると、お客さんとのコミュニケーションが一気に楽しくなりましたね。飲食の仕事の新しい一面に気付けた瞬間でした」と是枝さんは当時を振り返ります。
 
こうして軌道に乗り始めていた東京での生活。しかしそこに、1つの大きな変化が訪れます。それが2020年後半からの新型コロナウイルスの感染拡大でした。「それまで店はいつも満席のような状態だったのですが、一気にお客さんがほぼゼロの状態に。店の業態もテイクアウト中心へと移行せざるを得ず、お客さんとの接点も全くなくなってしまったんです」と是枝さん。せっかく料理を作っても食べてくれる人の顔が見えない、反応を聞くことができない。この状況を前に、是枝さんは自分の将来についていろいろと思いを巡らせるようになったそうです。
そんな時、是枝さんの心を大きく揺さぶったのが、ご両親からの「地元に帰ってきたら」という言葉でした。母のひとみさんは言います。「感染者が増えるにつれて、ますます東京と鹿児島の行き来が難しくなる。とにかく一度地元に戻って、落ち着いた状態で将来のことを考えてほしいと思いました」。一方の是枝さんも、東京で働きながら家業の「是枝商店」の将来について案じる部分もあったといいます。「両親もだんだん歳を取り、地元で愛されてきた味を終わらせていいのかという思いが、常に心のどこかにありました。いろいろと悩み抜いた末、これを機にさつま町に帰るという結論に。そして同じ帰るのなら店の看板を引き継ぎたい。そう心に決めたんです」。こうして2020年の11月、是枝さんは生まれ育ったさつま町の地で新たな生活を始めることになります。
 
町役場の担当者の勧めもあり、転居後しばらくは移住希望者向けに整備された移住体験住宅「さつま体験宿」に居住。生活が落ち着いてからは、「若者定住促進家賃補助金」を活用しつつ、町内の賃貸住宅で暮らしているそうです。毎朝、自宅から店まではのんびりとバイクに乗って通勤。「周囲に高いビルはありませんが、とにかく時間がゆっくりと流れています。休みの日には町内の温泉を巡ったり、少し離れた霧島神宮あたりまで遠出してみたり。都会とは違ったリフレッシュの仕方を楽しめています」と話す是枝さん。少し前には昔からの同級生と結婚し、まもなく第一子が生まれるのだそうです。

インタビュー中も10個、20個と飛ぶように売れていく「いちごまんじゅう」。数十年も通っているという地元の常連客いわく、「素朴なんやけど、ときどき無性に食べたくなる味」なのだとか。「僕はまだまだ修行中。たとえば母が作ったまんじゅうは、どの向きから食べても餡が均等に出てくるんです。すごく細かな部分なんですが、これが本当に難しくて。今は少しでも両親に近づきたいと努力を続ける毎日です」と是枝さんは言います。その一方、是枝さんの帰郷後に新たにスタートしたのが、SNSを使った情報発信です。「アカウントを開設するやいなや、数日のうちに500人以上のフォローをいただきました。東京での経験があったからこそ、モノを作るだけではなく、その魅力を人に伝えることの大切さや楽しさに気付くことができました。これからは僕と同じ若い世代、あるいはさつま町から遠くに住んでいる人たちにも、『いちごまんじゅう』の魅力を伝えていけたらいいですね」。