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青嵜 直樹さん

更新日:2023年04月06日

【取材対象者】
青嵜 直樹(あおさき なおき)さん

移住イベントをきっかけに さつま町と東京都の二拠点生活がスタート。 地域同士を繋ぎ、地域と繋がる充実の日々。

東京都出身の青嵜直樹さんは現在43歳。2022年7月に地域おこし協力隊の一員として、さつま町に引っ越してきた移住者です。前職では「まちづくり」を専門とする会社において、全国各地の地域PRなどに従事。その当時の経験を活かし、今はさつま町役場の「地域プロジェクトディレクター」として活躍されています。「地域プロジェクトディレクターとは、いわば『まちの演出家』的な存在。町内各地に点在する観光や物産などの資源に新しい角度から光を当て、町全体の魅力を高めていくことをミッションとする役割なんです」と青嵜さん。最近では特に、さつま町が誇る地域ブランド「薩摩のさつま」のPR全般に携わり、生産者へのインタビューや写真撮影、広報プロジェクトの企画立案などで、忙しい毎日を過ごしているそうです。

移住を考え始めたきっかけについて、青嵜さんは次のように話します。「私の妻は鹿児島出身なのですが、結婚を機に初めて鹿児島を訪れた際に、この地の魅力にいわば『ひと目惚れ』をしてしまって。雄大すぎる桜島の雄姿に豊かな食文化、何より地元の人の温かさが心にしみました」。いつか鹿児島に住みたい。そんな強い想いを抱いた青嵜さんですが、現実はそう簡単にはいかないことにすぐに思い至ります。「妻の実家以外に、私と鹿児島との繋がりは何もないことに気付いたんですよ。高齢になってから移住することを想像してみたのですが、その際の孤独感は容易に思い浮かべることができました」。そうならないために何か方法はないか。いろいろ考えてはみたものの、具体的な解決策は何も浮かばなかったそうです。
 
それから2年。青嵜さんに思わぬ転機が訪れます。「ある知り合いから『九州移住ドラフト会議』なるイベントが行われることを聞き、思い切って参加してみることに。イベントでは、移住者を受け入れたい地域=球団、移住希望者=選手として、プロ野球のドラフトに見立てた会議が開催されるとのことでした。鹿児島県内で参画していたのは3自治体。そのなかでも、妻の家族のお墓に最も近いさつま町に興味を持ち、イベント会場で直接、移住希望の意思を役場の担当者の方に伝えたんです」。その後、1年間じっくりと時間をかけて担当者や家族と移住についての話し合いを実施。そうして2022年7月、青嵜さんは地域おこし協力隊として晴れてさつま町に移住することになりました。
「妻は今の仕事にもうしばらく関わっていたいということで東京に残り、私だけが鹿児島に単身赴任するという形になりました」と青嵜さん。幸いさつま町から鹿児島空港までは車で40分ほど。現在は月に1回、飛行機で東京都内までを往復しながら、二拠点での生活を送っているそうです。「私は生まれも育ちも東京都内。もちろん最初はいくつか不便な点も感じました。例えばネットショッピングで購入したものが何日も届かなかったり、生ゴミなどゴミ分別の細かさにも驚きましたね。それでも、環境に慣れるために大事なのは、発想を変えること。ネットでの買い物は余裕を持ってクリックすれば問題ありませんし、生ゴミは自宅にコンポスターを設置することで無事に解決しました」。むしろ甘めの醤油など食べ物の感覚が土地に合っていたこともあり、思った以上にすぐ生活に馴染むことができたのだとか。「何より自然との距離感が心地いいですね。とにかく空が広くて、上を向く機会が増えました。ただ『晴れ』や『雨』だけでなく、どんなふうに雲が流れているのか、どんな勢いで雨が降っているのかなど、都会では気付かなかった気候の機微にも目が向くようになりました」。
 
もちろん町の人々に溶け込むために、青嵜さんが心掛けていることがあるそうです。それは仕事でもプライベートでも、まずはしっかりと相手の話を聞き、自分の価値観や東京での常識を押し付けないようにすること。「移住される方って地元に溶け込もうと急ぐあまり、コミュニケーションを焦ってしまうことが多いと思うんです。でもあえて一拍を置き、まずは相手を受け入れることが大事だと考えています。また地域柄、お酒の席に誘われることも多いのですが、できるだけ参加するようにしています。地元の人と1分でも多く思い出を共有することにより、さらに親近感を持ってもらえますからね」。
最近、青嵜さんは生産者へのインタビューなどを通して、町民1人1人がさつま町の将来を「自分ごと」として真剣に案じ、熱意を持って向き合っていることに気付いたそうです。「東京で地域PRの仕事をしていた時は、どの土地に行っても自分が常に『外側』の人間であることを感じていました。1つのプロジェクトが終了すると、その土地との繋がりはそこで完結。それ以上に地域と深く関わることはできませんでした。でも今は違います。町の人々と同じ立場に立ち、将来をよりよくしようと努力している人の『内側』からそのサポートができる。これって本当に素晴らしいことだと思いませんか」。
地域との繋がりを求めて、さつま町の地へと赴いた青嵜さん。将来の定住に向けた準備は、一歩一歩順調に進んでいるようです。